Tuesday, February 9, 2010

年間60マラソンを走る彼は自分のエネルギーを節約する以上のことをめざす。

年間60マラソンを走る彼は自分のエネルギーを節約する以上のことをめざす。
ジョン・ビルマン

2007年5月23日公開
西 一(58才)は彼の第496回目のマラソンとなったノースカロライナ州シャーロットでのサンダーロードマラソンを冷たい強風の中で走った日の深夜直前、パイロットが使うキャリーオンバッグのみを引き、ラスベガスのモーテル6トロピカーナに到着した。 その6時間後、 2006年ニュー・ラスベガスマラソンで、西はかじかむ手ももみながら夜明け前の肌寒い暗闇の中でのスタートを待った。彼は16000を超えるランナーの群れの最後の近くで、前日のマラソンで使用したのと同じ乳首保護のバンドエイドを付けていた。 一組のバンドエイドを翌日のマラソンにも再利用することは資源節約にそれ程役立つとは思えないかも知れないが、彼の様に多くのマラソンに参加すれば理解できるだろう。2006年には、彼は11カ国で72マラソンを走った; 2007年には、彼は25カ国での60マラソン参加を予定している。彼は月平均5マラソンを走り続け、自らの中長期的な目標として百歳となる2049年迄に250ヶ国での1000マラソン参加をめざしている。

 ぎっしり詰まった彼の旅程にも拘らず、西はマラソンのゴールを含め、次の目的地に急いで行くことはしない。自らを「エコマラソナー」と称する彼のランニングへの取り組みとは、環境との調和を見出すことだ。したがって、マラソンの環境をのんびりと楽しむ。彼は自らの限界に挑戦する様なことはせず、ほぼ全てのマラソンで最終ランナーとしてゴールすることを楽しむ。「素人ランナーが自らの完走タイムにしか関心が持てないのなら、精神分析医に診
て貰う必要がある。」と語る西の「最悪」の完走タイムは3時間45分で、「最高」は10時間32分であった。
「何の為に走るか?エコマラソンは競技ではなく、結び付きのためだ。」
彼がエコマラソナーとして生まれ変わる前は典型的な日本の働き過ぎのエグゼクティブであった。1987年に妻をガンで亡くした後、3人の子供達のシングルファーザーを務める現実に直面した。「私の心は傷つき、空虚だった。」
子供達が成長した後、彼は自らの会社を解散させ、カリフォルニア州ビッグサーにあるエサレン研究所を訪れ、自己成長のセミナーを受講するようになった。西の精神的な探求は、故郷の近くに聳える比叡山の僧が行う千日回峰にも触発され、「スローランニング・フィロソフィー」創造へと導いた。僧は自らの開眼を求め、千日走る。西も同様の道を見い出した。

動きに加わる

「車が通らないラスベガスストリップを走れるなんて!これこそランナーの素晴らしい特権だ。」と西は語る。彼は完全にコントロールされた大またで優雅にゆっくり走る。「遅いランナーが近づくぞ!」西は大またで走り、時には疾走しクモの巣を吹き消す。

西はオリンパスの防水デジタルカメラのストラップを首に掛けて走る。 「マラソンを捕らえるには、これより良い方法はない。」と彼は言う。レース途中、コース脇のチャペルで結婚式を挙げているカップルやエルビスに扮したコスプレランナー達、微笑むボランティア達、そしてコース沿の仮設トイレで長蛇の列に並ぶランナー達の姿を彼は写す。長蛇の列は彼が好んで撮影するイライラの象徴だ。なぜなら、それは身体、心、そして環境との調和を乱すから、と言う。西のエコマラソン体験登録としてのエコマラソン・データブックでは、マラソン運営上の欠点と捉えられ、ロジスティック上の問題となる。(レポート・カードを参照)マラソンを完走したその日の終わり、彼をどれだけ多くの写真を撮影したかで走ったマラソンの運営レベルを判断する。100枚以上であれば及第とされ、彼の公式サイト(ecomarathon.org)に掲載される。

 西は自分の水筒を持って走る。そして給水所のボアランティアに水を入れて貰う。「紙コップを無駄使いしない様にしている。」と彼は話す。「どうもありがとう! あなた達のお陰で私達は走れるのです。」と謝意を伝え、彼らの写真を撮る。時にはボランティアに語りかける、「あなた達こそ、勝者だ!」
「グッドモーニングやグーテンモルゲン、そしてボンジョルノと挨拶すると人々は大いに驚くよ。」と西は話す。「それらの挨拶はとても役立った。ランナー全員がマラソンをこんな風に楽しめれば良いのに。」
感謝の気持ちを言葉で伝える。ゴミはゴミ箱に捨てる。そして水筒を持って走る等は、今や多くのマラソンが配布する様になったエコマラソナー達への「エコチップス」と呼ばれるガイドラインだ。

「ハジメは、彼の使命とそれを他に納得させることが可能、と心から信じています。」西が1999年に参加したマサチューセッツ州のベイステートマラソンの前レース・ディレクター、ディ・サリバンは話す。「彼は地球をどの様に世話するかを、ランナーが見本となり伝えるべき、と感じているのです。」
 確かに一般に知られた名前ではないが、西は1997年に7月間で7大陸のマラソンを走った最初の人物としてギネスブックに世界記録保持者として認定された。日本で彼は有名靴メーカーのテレビコマーシャルへの出演をその当時、同社の社会及び環境的責任面に問題があると感じ、謙虚に断った。彼はあなたのお金を当てにしてはいない。彼は経済的に自立し、自分のWebサイトを他に譲ることはない。彼は自らを財政的に貧しいランナーの一人だが地球上で最も精神的に豊かな人間だと、嬉しそうに述べる。
 「走り、は私のパスポート。」と彼は話す。「;笑顔、が私のビザだ。」
ラスベガスを走った後、西はカンボジアへ、その後タイ、ドバイ、パキスタンへと旅発つ。彼は東京に一時滞在し、衣料の洗濯とタンパク質を補給する。「すしは日本が最高。他の寿司はそれ程でもない。」と話す。しかし彼がゴール後に(保温の為に)受取った数枚の(アルミ箔)スペース・ブランケットはモーテルをチェックアウトする前にタオルできれいに拭き、再利用する。「これは何回でも使える。」と彼は話す。「世界中でね。」完

http://www.runnersworld.com/article/0,7120,s6-243-297--11907-0,00.html

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