読売新聞 2007年4月23日「不屈のひみつ」
ゆっくりでいいじゃないか
西一(にし・はじめ)さん エコマラソナー
「自分がゆっくり楽しく走ることで、マラソンは苦しいものというイメージを変えたい。そして、エコマラソンの理想を説くことで、少しでもマラソンを良くしていきたい」 1949年生まれ。
7大陸マラソン最速走破でギネス認定。 著書に『エコマラソン――地球を感じ風になる』(評言社)。
ホームページ http://www.ecomarathon.org 風景を楽しみ、風を感じ、競わず、マイペースで。制限時間をぎりぎりまで使ってフルマラソンを走る“世界で最も遅いランナー”。
~目標は1000マラソン
記録は無縁と思っていたが、英国ギネスブックに名前が載った。
7大陸での七つの大会を、168日という短い期間に次々と出場して完走した記録だ。1997年2月の南極の大会から、大陸を渡りつつフルマラソンに出場を続け、8月に達成、99年に認定された。
「記録を狙っていたわけじゃない。いつも通り、走っていただけなんです」。だが、今は目標がある。100歳までに1000のマラソンを走ることだ。
2001年。西は東京の三つのマンションと、米国の住居を売り払った。社長業もやめた。日本には年間2か月ほど。あとはカバン一つで世界を旅し、安宿に泊まり、自炊しながら出場を続けている。これまで67か国、480種類、518回に出場した。
なぜ、走り続けるのか。長い長いマラソンロードのスタートには、妻の死があった。
~妻の死 崩れた自信
30代で始めたビデオの輸入販売で、西は大成功した。日米を往復、休日なしで連日18時間働いたが、貯金は億にもなった。新事業として、ビデオの字幕を使った英会話教室を開こうとしていた時、妻が胃がんだと分かった。
宣告はあと半年。妻は入退院を繰り返し、弱っていく。しかし、教室の準備はやめなかった。「仕事をなげうって看病すべきだった。なのに、仕事を口実に逃げたんです」
同い年の妻は3人の幼い子供を残し、38歳で亡くなった。教室も不調で閉鎖。ガラガラと自信が崩れ去った。
夜ごと夢に妻が現れた。「生きていたのか」と喜ぶと、消えてしまう。「こんなにも寂しいのか」。もう「仕事人間」には戻れなかった。空虚な日々が続いた。
きっかけは雑誌記事だった。ホノルルマラソンが「誰でも走れる祭り」と書いてあった。「オレでも走れるかな? 面白そうだな」と思った。
走ってみると、想像以上の充実感。「この体力があれば、まだまだやれる」。崩れた自信がよみがえってきた。
41歳だった。数年はタイムを縮めようと必死だったが、やがて限界が見えてくる。「ゆっくり走ればいいじゃないか」と気持ちが変わった。
ゴミが大量に出たり、排ガスの中を走ったりする大会もあった。西は自分が走って確認し、問題点を大会主催者に指摘し始めた。環境に配慮したマラソンを、エコロジーとの造語で「エコマラソン」と名付けた。その普及が生きがいとなり、使命となった。自分を立ち直らせてくれたマラソンへの、恩返しだ。
そして――長い長いマラソンロードのゴール。きっと妻が出迎えてくれる、と思う。 小梶勝男
Tuesday, February 9, 2010
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